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ニコニコ動画で批判コメントが歓迎されない理由

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ニコニコ動画って「この動画はつまらん」とか、「もっと××した方が…」みたいな、いわゆる批判コメントって全然歓迎されないですよね。その点、2ちゃんねるなんかとは全然違う。それはやっぱり、ニコニコ動画が「動画版2ちゃんねる」というよりも、テレビのバラエティ番組に近いからではないかと思いました。

ニコニコ動画は、(今さらな説明を加えると)「コメントをつけられるYoutube」といった感のある動画サイトですが、先行のサービスに「字幕.in」があります。
字幕.inとの違いは動画のUP主のみならず、視聴者が自由にコメントをつけられる点です。

ニコニコの雰囲気として、批判コメントは的を得ている、いないに関わらず「荒らし」とみなされる、というのがあります。
「批判するなら見るな!」という批判コメントに対する反応も散見されます。

その理由としては、動画上を右から左にコメントが流れるという形でUPされた動画とコメントが合体した形で一つの作品となっているから、なのではないかと思います。
つまり、ニコ動は「動画版2ちゃんねる」とみなすより、「さんまのからくりTV」みたいなバラエティ番組のネット版、とした方が正しい。
ニコニコ関係者で2ch管理人であるひろゆきのインタビューでの発言「面白くないものを面白いものに変えられる」も、その方向に自覚的なものです。

ITmedia News:「面白くないものが面白くなる」 ひろゆき氏が語る「ニコニコ動画」の価値 (1/2)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0701/30/news035.html

バラエティは、もとになるVTRや、芸の披露といった生での実演をネタにして、ヒナ壇に並んだバラエティタレントと呼ばれる「空気を読むプロ」たちがツッコミを入れたり、大げさに感嘆したりすることによって、楽しい感じを形づくることによって楽しい、というテレビ番組の一形式です。

そのバラエティ番組は、核家族以前のテレビは一家に一台、お茶の間の王座に鎮座ましましていた時代の、テレビ+お茶の間という場をメタ的に画面の中に移しかえたものです(たぶん)。

一家団欒でテレビをみていた時代の、テレビ番組をみて楽しむというより、テレビ番組をお茶の間で家族がツッコむ、という形で実質的につくられていた娯楽から、ロケVTRをスタジオのタレントがツッコむ、という形。
「テレビ番組+家族のツッコミ」から「VTR+タレントのツッコミ」という変化です。

そういったメタ的な形式なら、一人暮らしの人や、部屋で一人テレビをみている人でも楽しめる。視聴者がスタジオの中にあたかもおり、タレントたちとあたかもいっしょにいるような、そんな擬似家族的な感覚をもつことができる。
たまに街でタレントをみかけて、妙な親近感を覚えて声をかけたくなってしまうのもそのせいだと思います。(そういうのに無自覚なオバチャンなんか馴れ馴れしくして後日漫才のネタになったりするわけですが)。

まあバラエティに関しては、もちろんジャンルの範囲が広く、様々なタイプの番組があるので一概にいえるものではありませんが。

ニコニコ動画はそのメタ的なバラエティ番組の構造をさらに進化させ、お茶の間テレビの時代に先祖返りさせる形で、ヴァーチャル擬似家族を動画サイトで実現したものだと思う。

みんなでコメントをつけあって、見たことも話したこともないアカの他人と一体感を形づくる、という点では、家族というよりも近代的な共同体(国家とか)に近いような気もしますが、それはまた別の話っぽいので省略。

利用者が家族で、ニコニコ動画が想像のラウンジであるのなら、敵意をもった連中はいらない、というのも納得できる、ような気もする。

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2007年08月14日 17:53に投稿されたエントリー。

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